エズラ記6章
6:1 それでダレイオス王は命令を下し、重要文書を納めてあるバビロンの文書保管所を調べさせたところ、
6:2 メディア州の城の中のエクバタナで一つの巻物が見つかった。その中に次のように書かれていた。「記録。
「メディア州の城の中のエクバタナで」→メディアに属するエクバタナで城の中で」
6:3 キュロス王の第一年にキュロス王は命令を下した。エルサレムにある神の宮、いけにえが献げられる宮を建て、その礎を定めよ。宮の高さは六十キュビト、その幅も六十キュビト。
神殿の大きさについては、いわゆるソロモンの神殿は、幅二十キュビト、長さ六十キュビト、高さ三十キュビトでした。
列王記第一
6:2 ソロモン王が主のために建てた神殿は、長さ六十キュビト、幅二十キュビト、高さ三十キュビトであった。
歴代誌第二
3:3 神の宮を建てるために、ソロモンが据えた礎は次のとおりである。長さは、古い尺度のキュビトによると六十キュビト、幅は二十キュビト。
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しかし、キュロスの命令は、宮の高さを六十と指定しいます。これは、いわゆるソロモン神殿の倍の高さです。キュロスにとっては、霊的な意味は関係ありませんでした。建物で最も目を引くのは、その高さです。彼がこれについてこだわったのは、明らかにソロモン神殿に対抗してのことです。イスラエルの大王よりも自分が優れていることを示すためです。
次に目を引くのは、幅です。幅が六十キュビトと指定されています。それは、三倍です。
長さについての指定はありません。それは、正面からは、見た目には大きさを知ることができません。それについて指定していないことは、どうでも良かったのです。ユダヤ人の裁量に任せたということです。キュロスは、見た目の大きさにこだわったのです。
6:4 大きな石の層は三段。木材の層は一段とする。その費用は王家から支払われる。
これは、内庭を囲む塀についての記述と考えられます。
列王記第一
6:36 それからソロモンは、切り石三段と杉の角材一段の仕切りで内庭を造った。
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キュロスは、石について、「大きな石」と記していて、ここにも、大きさを意識していることが分かります。彼は、見た目を重視していたのです。
そして、費用について明記していて、王家から支払われるとしています。すなわち、この神殿は、誰が建てさせたのかということを記録として明確に残したのです。それは、キュロスの権威を示すためです。王家の威光を示すためなのです。
彼が神殿に多額の金を払うということについては、それによって王の威光が示されるという見返りを期待してのことなのです。また、このように各宗教に保護を加えることは、諸国民が王を敬い、安定した統治に繋がります。
神様は、このような人間的な判断を用いて、王の威信をかけた業としてこれを成し遂げさせようとされたのです。被支配国の、散らされた国民が元の地に多額の費用がかかる事業をすることは、困難を極めます。しかも、ユダヤ人の帰還者がそこに住むだけでなく、神殿を中心として一つにまとまり、異邦人を受け入れない集団となることは、既得権者にとっては、ぜひとも避けたいところです。しかし、神様は、そのような困難の中で、神殿再建を成し遂げることができる方です。そして、さらには、エルサレムを再建される方です。
6:5 また、ネブカドネツァルがエルサレムの神殿から持ち出して、バビロンに運んで来た神の宮の金や銀の器は返し、エルサレムの神殿に運んで元の場所に戻す。こうして、それらを神の宮に納める。」
そして、高価な金、銀、青銅の器について、これをもとに戻すことを命じました。神様は、このように完全に元に戻すことができる方です。
6:6 王は次のように命じた。「それゆえ、今、ユーフラテス川西方の総督タテナイと、シェタル・ボゼナイと、その同僚たちでユーフラテス川西方の地にいる知事たちよ。そこから遠ざかれ。
6:7 この神の宮の工事をそのままやらせておけ。ユダヤ人の総督とユダヤ人の長老たちに、この神の宮を元の場所に建てさせよ。
王は、訴え出た者たちに対して、明確な厳しい態度で命じました。それは、キュロスの明確な命令があったからです。誰も、これを取り消すことはできません。
6:8 私は、さらに、この神の宮を建てるために、あなたがたがこれらユダヤ人の長老たちにどうすべきか、命令を下す。王の収益としてのユーフラテス川西方の地の貢ぎ物の中から、その費用を間違いなくそれらの者たちに支払って、滞らぬようにせよ。
さらに、費用が王家から支払われるとの記載に基づき、費用を間違いなく支払うように改めて命じました。
6:9 また、その必要とする物、すなわち、天の神に献げる全焼のささげ物のための雄牛、雄羊、子羊、また小麦、塩、ぶどう酒、油を、エルサレムにいる祭司たちの求めに応じて、毎日怠りなく彼らに与えよ。
6:10 こうして彼らが天の神に芳ばしい香りを献げ、王と王子たちの長寿を祈るようにせよ。
また、宮に仕えるために必要な物について、毎日、怠りなくそれを祭司たちの求めに応じて与えるように命じました。
そして、王と王子たちの長寿を祈るようにせよと命じました。彼は、真の信仰者ではありませんので、このように言うことは、彼が求めていることを表しています。祭司たちが神に仕える中で、このように祈ることで、王に対する尊敬が心からのものとして現されることになります。それは、民全体の意識につながることであり、王に対する恭順を期待できます。
ここで、命令の手紙の内容が記載されているのは、ユダヤ人の総督と長老たちに関する命令が含まれていたからです。宮の建設のための費用が王家から支払われることに関して、それをイスラエルの長老に隠しておくことは、命令に背くことでありできないことです。彼らは、そのことについて王の命令を伝えなければなりません。また、捧げ物、祈りに関する命令も伝えなければなりません。ですから、この命令は、イスラエルに伝えられたのです。
6:11 私は命令を下す。だれであれ、この法令を犯す者があれば、その家から梁を引き抜き、その者をその上にはりつけにしなければならない。このことのゆえに、その家はごみの山としなければならない。
そして、命令を犯す者に対しては、厳罰を課しました。総督たちの思いで命令を聞かないというようなことができないようにしました。これは、ペルシャ帝国が王国の威信をかけた事業であるからです。
6:12 エルサレムに御名を住まわせられた神が、この命令を変更してエルサレムにあるこの神の宮を破壊しようと手を下す王や民をみな、投げ倒されますように。私ダレイオスはここに命令を下す。間違いなくこれを守れ。」
さらに、彼は、「神」の御名を言い表し、単なる政治的な命令ではなく、自分も神を敬っていることを示し、ユダヤ人が王に反発することなく、王を敬うように導きました。
6:13 ダレイオス王がこう書き送ったので、ユーフラテス川西方の総督タテナイと、シェタル・ボゼナイと、その同僚たちは、間違いなくこれを行った。
王の厳罰を伴った命令は、総督たちによって間違いなく実行されました。これが神様がなさることです。
6:14 ユダヤ人の長老たちは、預言者ハガイとイドの子ゼカリヤの預言を通し、建築を行って成功した。彼らはイスラエルの神の命令により、またキュロスとダレイオスと、ペルシアの王アルタクセルクセスの命令によって、建築を終えた。
ユダヤ人の長老たちは、建築を終えました。民を代表していたのは、長老で、霊的経験の豊かな者たちです。彼らに与えられたのは、預言者の言葉です。それが民を奮い立たせるのです。そして、主は、間違いなくそれができるように王の命令を備えてくださったのです。
「アルタクセルクセスの命令」は、エズラの帰還に関係していて、彼は、その時、宮に収める器具等を運搬しています。それらが運び込まれる必要があったことは、それらが納められて完成したことを表しています。ダレイオスの時代には、建物が完成し、器具は、一部不足していたのです。
6:15 こうして、この宮はダレイオス王の治世の第六年、アダルの月の三日に完成した。
6:16 イスラエルの子ら、すなわち、祭司、レビ人、そのほかの捕囚から帰って来た人たちは、喜びをもってこの神の宮の奉献式を祝った。
彼らは、宮が完成した時、奉献式を「祝い→行い」ました。喜びがあったのです。神様に捧げることの喜びを味わったのです。
6:17 彼らはこの神の宮の奉献式のために、雄牛百頭、雄羊二百匹、子羊四百匹を献げた。また、イスラエルの部族の数にしたがって、全イスラエルのために罪のきよめのささげ物として、雄やぎ十二匹を献げた。
捧げ物について、数が示されていて、雄牛に関しては、百頭です。百は、聖別を表しています。牛は、しもべです。しもべとして従うことで、聖別されるのです。
雄羊は、人を表していて、二百匹。聖別を表す百が単位となっていて、二つで、証しを表してます。聖別されることで神の栄光を証しする者となります。
子羊は御子の栄光を表していて、父にとっての愛する子です。四百匹は、聖別を表す百が単位となっていて、四つです。これは、あまねくということを表しています。聖別は、御子の栄光があまねく現されることを示しています。
罪のための捧げ物は、雄山羊です。通常一匹ですが、十二匹用意されたのは、「全イスラエル」のためということを強調していて、十二部族が意識されています。失われた十部属も含めて、全イスラエルです。
6:18 また彼らは、エルサレムでの神への奉仕のため、祭司をその区分にしたがって、レビ人をその組にしたがってそれぞれ任命した。モーセの書に記されているとおりである。
また、長老たちは、エルサレムでの神への奉仕のため、祭司とレビ人をその区分、組に従って任命しました。
6:19 捕囚から帰って来た人々は、第一の月の十四日に過越を祝った。
また、彼らは、律法に記されている過ぎ越しを「祝い→行い」ました。
6:20 祭司とレビ人たちは一人残らず身をきよめて、みなきよくなっていたので、捕囚から帰って来たすべての人々のため、彼らの同胞の祭司たちのため、また彼ら自身のために、過越のいけにえを屠った。
祭司とレビ人は、ひとり残らず身を清めました。そのための準備を予めしていたのです。心から進んて行う思いがありました。
6:21 捕囚から戻って来たイスラエル人はこれを食べた。イスラエルの神、主を求めて、その地の異邦の民の汚れから離れて彼らに加わった者たちもみなそうした。
捕囚から帰ってきたイスラエル人は、これを食べました。彼らは、主の言葉に従って帰った民であったのです。
その他に、その地に残っていた民のうち、イスラエルの神、主を求めて、さらに、異邦の民の汚れから離れて帰還した民に加わった人たちも、過ぎ越しを行い、食べたのです。
6:22 そして彼らは七日間、喜びをもって種なしパンの祭りを守った。これは、主が彼らを喜ばせ、またアッシリアの王の心を彼らに向けて、イスラエルの神である神の宮の工事にあたって、彼らを力づけるようにされたからである。
彼らは、喜びをもって種無しパンの祭りを「守り→行い」ました。一つには、主が彼らを喜ばせたことです。
また、アッシリアの王の心を彼らに向けさせたことです。ペルシアの支配のもとでのアッシリアであって、かつてアッシリアの支配下にあった国の総督たちのことです。彼らは、かつては敵対勢力でしたが、ダレイオス王の命令により、忠誠をもってイスラエルを支えるようになったのです。ペルシアの王が偉大だと言い表す神をないがしろにすることはできません。また、そのようなことを少しでも態度で表すならば、彼ら自身が処罰を受けることになります。彼らは、宮の建設が少しも滞ることなく、成し遂げられるためにできる限りのことをしなければならなかったのです。それが、王の命令であったからです。